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レディオ4 (Radio 4、レディオ・フォー) は、アメリカ・ニューヨークのダンス・パンクバンド。ポストパンクやニュー・ウェーヴからの影響を強く感じさせる、ダンサブルでディスコティックなパンク・サウンドを奏でる4人組。2000年代のダンス・パンクムーブメントの中でも最初期に成功したバンドである。 == 来歴 == 1999年、アンソニー、トミー、グレッグの3人によりレディオ4が結成され、ニューヨークで活動していたバンドは後にジェラルドとPJ・オコナーを加え5人編成となる。バンド名のレディオ4はP.I.L(パブリック・イメージ・リミテッド)の2ndアルバム『メタルボックス』の曲名から取られた。バンドの中心人物であるアンソニーは叔父の影響でパンクやロカビリーを聴きながら育ちポスト・パンクバンドの経験もあったが、レディオ4結成頃から聴き始めたというダンス・ミュージックにも惹かれており、その2つの音楽を組み合わせることはできないかと考えるようになる。2000年、デビューアルバム『ザ・ニュー・ソング・アンド・ダンス』をリリース。低予算の状況の下で作られたそのアルバムは、リズミカルでダンサブルである一方、パンクの攻撃性やエッジを持ったもので、批評家からはザ・クラッシュのようだと例えられるようなサウンドに仕上がった〔 "Radio 4 Interview, HARDLISTENING."〕。 2001年、バンドは大きな転機を迎えることになる。プローデューサーチームのDFAと出会い、EP「ダンス・トゥ・ジ・アンダーブラウンド」をリリースする。翌2002年、引き続きDFAがプロデュースした2ndアルバム『ゴッサム!』は、勢いに乗り始めていたポストパンク・リバイバルの流れとも同調し、大成功をおさめる〔 "Radio 4 Gotham, Victor Entertainment."〕。 2004年、バンドはEMI系のAstralwerksへと移籍。プライマル・スクリームなどを手がけたマックス・ヘイズのプロデュースのもと3rdアルバム『スティーリング・オブ・ア・ネイション』をリリースする。2000年の大統領選挙、911、イラク戦争など、バンドがニューヨークから見てきたアメリカの状況を色濃く反映した内容のアルバムで、政治色の強い作品となった〔 "Radio 4 Rhythm Nation, CMJ JAPAN Music Magazine."〕。アンソニーはインタビューで「僕らは自分達の目で見たニューヨークを描いてるつもりなんだ。どんなことが起きていて、それがどう影響を与えているか、とかね。そういうことが、僕達にとってはすごく大事なテーマなんだ。」と述べている〔 "Radio 4 Interview, HARDLISTENING."〕。 2005年、オリジナルメンバーだったトミーが脱退、新メンバーにデイヴを迎える。さらにマネージメントの変更などもあり、新生レディオ4となった彼らはその勢いが冷めぬうちにアルバムの制作に取り掛かった。レコーディングはロンドンで行われ、マッシヴ・アタックやカサビアンなど大胆なミックスで知られるジャグズ・クーナーがプロデューサーに迎えられた。2006年、4thアルバム『エネミーズ・ライク・ディス』がリリースされた〔 "Radio 4 Enemies Like This, VIBE Net."〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レディオ4」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Radio 4 (band) 」があります。 スポンサード リンク
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